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AERA DIGITAL(アエラデジタル)に記事が掲載されました|政界引退した「江田憲司氏」が明かす“旧大蔵省の闇”

「これまでの政治家人生の振り返り」「政治家という立場を離れたからこそ語れる思い」というテーマで取材を受けました。

政界引退した「江田憲司氏」が明かす“旧大蔵省の闇” 「“しゃぶしゃぶ事件”どころではない破廉恥な事態が横行していた」

衆院議員を8期務めた中道改革連合の江田憲司氏(70)が5月21日、政界引退を発表した。江田氏は2002年に神奈川8区補欠選挙で初当選して以来、自民党に対抗するための「政界再編」を掲げ、みんなの党、結いの党、維新の党、民進党の4党結党の立役者となった。そんな政治家人生の原点となったのは、橋本龍太郎元首相の首相秘書官として、旧大蔵省解体など“橋本行革”に奔走した日々だった。霞ケ関、官邸、自民党、野党……あらゆる組織に通じた江田氏に今だから語れる「政界秘話」を聞いた。

――“高市旋風”が吹き荒れた今年2月の衆院選で落選したことで、政界引退を決めたとのことですが、悔いや思い残しはないのでしょうか。

これまで、どんな逆風下でも私を勝たせてくださった神奈川8区の有権者の方々が、今回は大差で江田を信任しなかった。いわばレッドカードを出されたわけです。引退を決めたのは私にとっては自然なことでした。

とはいえ、心残りはありますよ。私は自民党と対峙できるライバル政党が絶対に必要だという思いで、初当選時から「あえて無所属、政界再編!」を公約に掲げ、みんなの党や維新の党、民進党など4つの政党を作りました。なかでも、旧民主党のみなさんと合流した民進党は、二大政党の一翼を担う可能性が十分あったと思います。

しかし、民進党は希望の党との合流をめぐる「排除の論理」でズタズタにされ、その後の野党の乱立、分断を招いた。当時の民進党代表だった前原(誠司)さんの罪は万死に値すると思いますし、政権交代なんぞ夢のまた夢という現状には、言葉もありません。

――江田さんの政治家人生の原点となったのは1994年、橋本元首相が通商産業相となり、江田さんが大臣秘書官に就いたことでした。

すでに大蔵大臣などを歴任していた橋本さんとしては、軽量級の通産大臣は不本意だったんです。官邸の大客間で事務次官が「秘書官の江田です」と紹介すると、橋本さんはチェリーのたばこをくわえながら、私を横目で見るやいなや、「君のとこの役所、知らないから」と言いました。続いて、「あと、僕のお守(も)り、大変だから」と。物怖じしないことで有名だった江田憲司も、その時はさすがにビビりましたね(笑)。

「怒る、威張る、すねる」? 橋本元首相の素顔は…

ただ、翌日、大臣車で隣に座っていたら、おもむろに出身地を聞かれました。「大臣の故郷の岡山なんですよ」と言ったら、橋本さんは驚いてすぐに久美子夫人に電話をかけて、「ママ、ママ、今度の秘書官の江田さんは岡山出身なんだよ!」って。そして直後のナポリサミットで1週間ともに過ごしたことで、一気に打ち解けた気がしました。

橋本さんは「怒る、威張る、すねる」と竹下登元首相に評されたけど、20も歳の離れた私のことは、すっと懐に飛び込ませてくれました。記者会見を終えるたび、橋本さんは「おーい審判官、どうだった?」って聞くんです。それで私が一言二言苦言を呈(てい)すると、自分から聞いたのにちょっと嫌な顔をする。通産省の幹部からは、私と橋本さんは兄弟みたいだと言われました。そして95年の日米自動車交渉など難局を乗り越えるうち、一心同体のような関係になっていったんです。

96年、橋本さんが総理に就任すると、政治担当の首相秘書官を拝命しました。橋本さんと出会わなければ、官僚人生をまっとうし、今ごろは悠々自適に天下り生活を送っていたかもしれませんね(笑)。

――橋本元首相は縦割り行政を打破すべく、中央省庁の再編や官邸機能の強化など“橋本行革”を断行しました。「官邸の森蘭丸」の異名をとり、首相の右腕として奔走した江田さんは、行革に危機感を抱く霞ケ関や自民党の族議員から激しい反発に遭ったようですが、当時はどんな心境だったのでしょうか。

ほかの役所出向の首相秘書官たちは、行革となると、どうしても母屋である出身省庁の組織防衛に走らざるをえない。でも私は、橋本内閣が終わっても通産省に戻るつもりはなかったし、中央省庁の再編やそのトップに君臨する大蔵省にメスを入れるなんて、夢にも思わない僥倖(ぎょうこう)でしょう? 水を得た魚のように駆けずり回りました。

でも、突然39歳の若造がしゃしゃり出れば、非難轟々(ごうごう)ですよ。日ごろ地元予算で大蔵省にお世話になっている自民党議員や、年次という霞ヶ関の「絶対の掟」を破って首席秘書官になった私を白い目でみる各省庁の幹部らを相手に、四面楚歌の闘いでした。

“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”など可愛いもの

週刊誌でもボロクソにたたかれましたが、私には女性や金銭のスキャンダルはないから、批判の矛先は「態度がでかい」とか「礼儀作法がなってない」とか。真に受けた母親には「そんな子に育てたつもりはない」と泣かれましたが、記事の背景を調べたら、だいたいは大蔵改革を阻止したい関係者の意向を受けたものでした。

大蔵改革を主導した理由も「母屋の通産省の省益を代弁している」と批判されましたが、私の原動力は過剰接待事件をはじめとする腐敗への怒りでした。「現金はダメだけど、接待はいくら受けてもいい」というのが、当時の霞ケ関の不文律。有名になった“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”など可愛いもので、ここでは話せないような、もっと破廉恥な事態が横行していたわけです。

徹底的な身を切る改革を行わないと、官僚に対する国民の信頼は絶対に戻らない。そんな思いから、厳格な接待ルールを定める法律を作るべきだと橋本さんに進言しました。官邸官僚からは「官僚が法で縛られなきゃ倫理が保てないなんて恥ずかしい」と反対されたけど、「あなたがたはそれ以上の恥ずかしいことをしたんですよ」と返したね。こうして、99年に国家公務員倫理法が制定されました。

――首相の姿を間近で見て支えた経験を持つ立場として、今の高市早苗首相の仕事ぶりをどう見ますか。

首相秘書官は総理の体温や息遣いを感じ、その思いを汲みながら政策立案をするわけで、秘書官の能力やその使い方次第で政権は左右されます。でも聞くところによると、高市さんの執務室に入れるのは首席秘書官の飯田(祐二)さんくらいで、ほかの秘書官は車の相乗りすらできないようです。当の高市さんは、執務室のさらに奥にある部屋にこもり、役所からあがってきた資料を一人で読んでいるとか……。

総理って、ただでさえ孤高の人になりやすいんですよ。官邸は敷居が高いから情報が入りづらいし、役所からの資料やレクチャーなんて、正直、木で鼻をくくったような内容でしかない。今の執務スタイルでは、そのうち、どこかでつまずくのではないかと懸念しています。

「動かざること山のごとし」立憲・野田代表に唖然

――政治の世界から退いた今、政界再編の夢を託したいと思える政治家はいますか。

いないから、事態は深刻なんです。

私は昨年末、衆参で自民党が過半数割れしたのに、なぜ立憲民主党と国民民主党は連携して政権交代を目指さないのかと思って、(国民民主党の)玉木(雄一郎)代表と二人きりで話したんですよ。そうしたら玉木さんは、「(立憲民主党の)野田(佳彦)代表から、いまだに一本の電話もないんだから、話にならないでしょう」と。

私の経験上、党と党が連携するためには、トップ同士が膝を突きあわせ、ときにはお酒も酌み交わしながら本音の話をすること、そしてなにより大きな党の党首が小さな党の党首のもとに足を運んで説得をすることが不可欠なんです。「野田さんは動かざること山のごとし」という声はよく聞くけど、玉木さんの話を聞いて、もう開いた口がふさがりませんでしたね。

橋本行革を通じて、自民党に巣くう金権利権体質の裏の裏まで知り尽くした身としては、このまま自民一強体制が続けば、国が朽ち果ててしまうという危機感を抱いています。もちろん、自民党も必要な政党ですが、そのライバル政党があって、少しでも国民のためにならないことをすれば下野させられる緊張感がなければ、国民本位の政治は絶対に実現しない。今の野党のみなさんには、我を張らず、小異を捨てて大同につくことで自民党に対峙する気概をもってほしいと心から願っています。

AERA編集部・大谷百合絵 / 撮影:齋藤結鶴(AERA編集部)

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