私、江田憲司は、今年2月の衆議院選挙における落選という結果を踏まえて、この民意を厳粛かつ真摯に受け止め、政界を引退することを決意し、5月21日、神奈川県庁において記者会見を行い、対外的に表明しました。
実は、この政治家としての出処進退については、投票日の翌日には、これまで献身的に支援をいただいてきた私のコアの支援者、数十人の皆さんにお集まりいただき、直接、お伝えしていました。ただ、二十有余年の政治家人生の中で、お世話になった方々は、地元だけではなく、東京をはじめ多方面に及んでいたため、当面は内密にすることをお願いし、これまで丁寧に丁寧にそれら方々のご意見を拝聴し、私の考えもお伝えしながら、「立つ鳥、跡を濁さず」、ご納得いただく行脚を粛々と進めてきたのです。そして、その一連の手続きもやっと目途がたった、それがたまたまこのタイミングとなったわけです。
なぜ、即断即決で引退を決意したのか?
私には、この地元選挙区(横浜市青葉区・緑区)に特別の思い入れがあります。それは、これまで、選挙でどんな逆風が吹こうが、この私を小選挙区で勝たせ続けていただいてきた、その地元有権者の皆さんのご見識に、心から敬愛の念を抱いてきたからです。
例えば、〇五年の郵政民営化選挙では、神奈川県で唯一、非自民で勝ったのは私だけでした。また、〇九年の怒濤のような民主党政権への流れの中での選挙でも、当の民主党候補に、一二年の自民党の政権奪還選挙でも自民党候補に、それぞれ五万票以上の大差で勝たせていただいたのです。
しかも、私の選挙スタイルは、〇二年の初当選以来、企業団体献金は一円も受け取らない、業界団体や労働組合等の如何なる団体・組織の支援も受けないという、ある意味、選挙の常識を覆すような手法を貫いてきたにもかかわらず、なのです。ですから、これまで私は選挙の度に「この選挙区で政治家をやれる幸せ」というものに言及してきました。そうした、私が心から、そのご見識に敬意を表してきた地元有権者の皆さんから、今回は、逆に大差でレッドカードを突きつけられた。「江田は信任しない」という明確な審判が下された以上、「即刻退場」、私が引退を即断即決したのは、当然の帰結だったのです。
新たに「第三の人生」を歩む!
顧みますれば、この世に生を受けて、大学卒業後は旧通産省(現経済産業省)に入省し、米国留学(ハーバード大学国際問題研究所)や首相官邸への出向(海部・宮沢内閣/総理演説・国会担当)等を経て、最後は橋本龍太郎内閣で総理秘書官(政治・行革担当)を拝命し、中央省庁の再編、特に、官邸機能(政治主導)の強化や大蔵省改革に携わり、外交では、普天間飛行場の返還合意やクラスノヤルスク合意(露との北方領土交渉)等に取り組ませていただきました。
ここまでの官僚人生を「第一の人生」とすれば、この官僚人生に見切りをつけ、メディアへの出演を皮切りに、〇二年に衆議院議員に初当選、それ以来、その時の公約である「あえて無所属、政界再編!」「自民党に代わる政権交代可能なライバル政党をつくる!」を実践すべく、紆余曲折はありましたが、四つの政党(みんなの党、結いの党、維新の党、民進党)を結成する等、二十有余年にわたる政治家人生が「第二の人生」でした。
これからは、新たに「第三の人生」を歩んでいけたらと思っております。まだ定かにその具体的な方向性があるわけではありませんが、今後は与野党の枠組みを超えて、より自由な立場から、とりあえず、これまでの人生でさせていただいた経験、得させていただいた知見等を、言論出版活動等を通じて国民の皆様に包み隠さず、発信、お伝えしていけたらと考えております。また、時間的余裕も出来ますので、弁護士資格を取り、その関係の仕事にも、新たにチャレンジしてみたいとも思っております。
心残りは「自民党に代わるライバル政党」づくり
先の衆院選挙で野党、特に中道改革連合は焼け野原になり、惨憺たる有様です。自民党に代わって政権交代なぞ、口に出すのも憚れる状況です。
私は、先にふれたように、「政界再編」を目指して衆議院議員になった特異な政治家です。その原点は、橋本行革時に壮絶な闘いをせざるをなかった族議員、自民党の「金権利権体質」でしたし、菅義偉氏に請われて自民党候補として出馬した二〇〇〇年の初の選挙で経験した「しがらみだらけという泥沼」でした。その後の、私の政治・選挙スタイルは全て、この原体験を反面教師として形づくられたものでした。
もちろん、そうは言っても、自民党は日本に必要な政党です。が、それに対峙し、切磋琢磨、競争し、少しでも国民のためにならないことをすれば、次の選挙で下野させられるという、この緊張感なくして絶対に国民本位の政治は実現できない!それが、私の、官僚として、政治家として歩んできた人生で培われた確固たる信念なのです。この信念は今後も変わることはありません。
しかし、まずは「自民党でもない民主党でもない選択肢(自民もダメだが民主もね)」として、〇九年に結成した「みんなの党」も、一四年に結成した「維新の党」も、時の政権与党・自民党との距離感を巡って分裂し、そして、やっと旧民主党と合流して結成した「民進党」も、小池百合子氏の希望の党をめぐる「排除の論理」でズタズタにされてしまった。特に、この民進党の瓦解は、やっと自民党のライバル政党たり得る二大政党の一翼を作り得たと思えた、その私にとっては悔やんでも悔やみきれない痛恨の一事でした。今、民進党があったら、国民民主党も存在していないし、今の、野党の分断乱立状況もなかったのです。
現野党の党首はじめ皆さんには、「一体、あなた方は何を目指して政治をしているのか」と問い質したいと思います。自民党に代わって政権交代を目指すのか。はたまた、与党と連立・連携して、日本維新の会のように、シングルイシュー、ダブルイシューの政策(例:定数削減や副首都構想)を、それをテコに実現したいのか。
衆院選挙は政権選択選挙です。「是々非々」とか「ゆ党」を称するのは、有権者の一番の判断材料である選挙後「与党か野党か」という点を曖昧にする姑息な手法です。党の存続には当面、有用かもしれませんが、長続きはせず、良いように自民党に利用され、いずれ政党そのものが淘汰されていくことでしょう。
したがって、その政党としての立ち位置をはっきりした上で、必要以上に我を張らず、「政権交代」なら「小異を捨てて大同につく」。今の野党の分断乱立状況では政権交代なぞ夢のまた夢ですが、「政界は一寸先闇」、政治は十年スパンで動くぐらいの意識で、自民党のライバル政党を作るべく、さらなる政界、野党再編に果敢に挑んでいただきたいものです。
改めて最後に
私、江田憲司はこれで政界は引退しますが、人生を引退したわけではありません。これからは先にふれたように、言論出版活動等を通じて政治や行政にはズケズケとものを言っていくつもりです。
最後になりますが、改めまして、〇二年の初当選以来、長きにわたる第二の人生(政治家人生)を支えていただいた全ての皆様に、心から感謝を申し上げますとともに、今後のこうした私、江田憲司の活動に対しましても、変わらぬ、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。
(FACTA2026年7月号)
